クライミング

65th ・70th Anniversary 縦と横をつぐむ2大イベントに挑む

yoidoreyamaoyaji

Purinの2年に及ぶがん治療も一段落し、気がつけばYoidoreYamaoyaji65歳、Purin70歳という、お互いに記念すべきキリ番年齢になっていた。だからという訳でもないが、2人ともかねてから夢見ていた北岳バットレスのリベンジと阿曽原温泉小屋のブログに魅了された黒部峡谷/下ノ廊下へのチャレンジを計画した。成功させることができれば、中島みゆきの名曲「糸」の歌詞ではないが、縦と横をつぐむ山行ができた年として、2022年は記憶に残る年となるはずである。

縦の糸編 憧れの北岳バットレス、貸切登攀の幸せ

2022 年 10 月 14 日 メンバー:YoidoreYamaOyaji、Purin、Masarun

クライミングを始めたころから夢に見た北岳バットレス。本邦第二峰である北岳(山梨県、3193m)の山頂に突き上げる標高差約600メートルに及ぶ大岩壁だ。そんな憧れの岩場の前に立ち、朝焼けに輝くピラミッドフェースを仰ぎ見る。まさに夢心地である。

絶望味わう離陸 Dガリー大滝

紺碧の空に向かってのクライミングは気持ちがいい

午前7時、D ガリー大滝のルートに取り付くMasarunさんのフォロー体制に入る。あっという間に「登ってください」のコール。Purinが取り付く。つるりとして、手指がしびれるほどに冷たい岩肌に苦戦するも、何とか離陸。その後はするすると登っていく。私も最初の一手が決まらず難儀したが、とびきりのテンションをもらって何とかしのいだ。一時は「ここで2人を見送るのか..」と、絶望の淵を味わい、早くも現実の厳しさにへこむ。そんな私のピンチはお構いなしに、2人は終了点で楽しげにおしゃべりをしていて、ちょっとむかつく。終了点は信用ならないハーケンばかりで、Purinがカムでバックアップを取る。

横断バンド

2ピッチ目は出だしのスラブを右斜めに超え、あとは直上。広くて平らな終了点に出た。雲一つない青空のもとで少しだけ余裕も生まれる。Dガリー大滝の登攀は3ピッチで終わり。横断バンドをロープ確保で右に渡ると、白い石が引き詰められた川のような C ガリーにぶつかる。ガレのキワをひと登りすると、「4尾根」を印す古い赤ペンキを見つける。YouTubeで何度も確認したものだ。傾斜の緩いヒドンスラブの登り口でもある。そこを越えると、いよいよ第4尾根への取り付きだ。見晴らしが良く、小さなテントなら2張ぐらいは張れそうなテラスになっていた。

4尾根へ  紺碧に映えるピラミッド

腹ごしらえを済まして、スタート。ここからが本番だ。離陸が少し難しいが、D ガリー大滝ほどではない。つるりとした出だしのクラックを越えれば傾斜も緩く快適だ。続く土のバンドを越え、11時に白い岩のクラックの取り付きに到達。高所特有の紺碧の空に、ピラミッドフェースの美しい頂点が映える。下から雲が湧いてきたと思ったら、みるみる覆い尽くされてしまった。本来、ここからが「映える」撮影ポイントが目白押しなのに、ここに来てモノトーンの世界に一変してしまった。

4尾根の1ピッチ目の出だしを離陸するMasarunさん

緩傾斜のクラック、フェースからリッジ、マッチ箱へのリッジは、高度感抜群のハイライトのはずだ。ところが取り巻く雲のベールで高度感はまるでなし。おかげで左右ともスパッと切れ落ちるリッジも、わりと冷静に登ることができた。

ピラミッドフェースの頭をめがけて登攀する

マッチ箱の頂点から20メートルほど懸垂下降したところで小休止。日が陰った分、肌寒くはなりウインドブレーカーをはおる。枯れ木のテラスまで2ピッチで到達。テラスとはいうものの、3人同時にいるには、あまりに狭く落ち着きが悪い。いよいよ本日のハイライト、高度感抜群、ツルリとした一枚岩のトラバースだ。が、その前に、このテラスから一歩踏み出すのに、まずは勇気が必要だ。股下には何もないからだ。一枚岩に取り付くと、薄くてもろいリッジをつかむ。蟹の横ばいよろしく、シューズのフリクションを効かせて突っ張りながら、そろりそろりと横へ移動する。次はV字型の大きな割れ目をまたぐ番だ。間隔は1メートルほどだが、雲の中とはいえ足下に何もないことは分かる。緊張の場面である。どうやって渡ったかは、よく覚えていないが、無事にわたりきったことは間違いない。

最後の試練 城塞ハング

Masarunさんいわく「2010年の崩壊前なら、枯れ木のテラスが終了点、あとは普通に歩いて頂上に出られた」とのこと。いまは、さらに難関の城塞ハングが待ち受けている。そのMasarunさんがトップで取り付き、城塞ハングのチムニーの中に姿を消した。そしてまもなく、「解除」のコール。ピッチは短い。続くPurin。一段上がったところのハングで苦労する。いろいろ試しているが結局、右側の岩壁に背中を押しつけ、突っ張りながら、ずるずると体を持ち上げることに成功した。安定した体制に入ると、その後は苦労もせずにクラックの中に消えた。続く私も、同じように背中フリクションで体をずり上げて突破。暗いクラックというよりチムニーを抜けると、明るい灰色の空から、こちらを覗くMasarunさんの顔が見えた。「来たね」と声をかけてくれたMasarunさんの顔が、天使のように見えたのだった。

4尾根ルートで唯一の懸垂下降

登攀終了は15時。目安にしていた時間より2時間遅れだったが全員元気で、まったく問題はない。あとは「ビクトリーロード」を歩いて、頂上を目指すだけだ。とは言え急登で、体は重い。でも心は軽いのであった。

45分ほどで北岳山頂3194mに到着。単独の2、3人がいただけで、歓迎ムードはゼロでした。相変わらず雲の中ではあるが、記念撮影を済まして、足取り軽く下山を開始した。

3度目の正直

北岳バットレスのチャレンジは、今回が3度目だった。1度目はコロナ禍が世界を覆う前にS藤さん、H口さんの4人で挑戦するも、雨で下部岩壁の1ピッチであえなく敗退。それから数年、今年の9月に、Masarunさんとの3人で2度目を計画。が、またしても雨で下部岩壁までの下見で終わり、祝杯を上げるはずがやけ酒に。そして今回、3度目のチャレンジで見事リベンジを果たすことができた。これも2度も我々に付き合っていただいたMasarunさんのおかげです。感謝しかありません。

かけがえのない経験

夢のバットレスに向けてトレーニングは積んできました。これまでの岩トレ全てが試されました。我々だけでは力不足だったと実感した場面が度々ありました。ただトレーニングはけっして無駄ではなかったとも思っています。登攀したからこそ言えることです。的確な支点確保やルート取り、ロープさばきなど、実践を積まなければ身につかないノウハウを今回、Masarunさんから学べたことは、かけがえのない経験でした。さらなる精進を心がけたいと心に誓いました。Masarunさんは今、労山都連盟の教育担当の理事として、若手クライマーの育成に尽力しています。微力ですが何か協力することを通して、今回得たことの還元ができればと願っています。

【備忘録】
本チャンでは真っ直ぐなルートどりは少なく、アルパインヌンチャクを多めに用意するのが有効だと実感しました。カム類はキャメロット1~3とその中間を2、3個、2人でダブらないように持参。使う場面はそれほど多くはありませんでしたが、助かった場面はありました。支点はゲレンデとは違って、当然かもしれませんが油断ならないハーケンが多く、絶対に落ちてはいけないと改めて肝に銘じました。また不測の事態のために、ハンマーとハーケン数個をMasarunさんがザックの外側に付けて携帯してくれました。

ABOUT ME
YoidoreYamaOyaji
YoidoreYamaOyaji
山と酒を愛するYoidoreYamaOyaji。「人生はうちなる未踏峰である」を座右の銘に、山を歩く。日本100高山をPurinとともに2019年に富士山、御岳山で踏破。「100のピークに100のドラマあり」を知る。加齢とともに山は逃げるものだと実感している今日このごろ。
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